No. 135
発行 2010年3月
分類 REN
著者 石村綾子

連載:4人の子どもとゴーイングマイウェイ 63

いよいよ長女が思春期です

本会運営委員(毎日新聞大阪本社記者)   石村 綾子


向き合うだけの余裕がない

中学1年の長女が、休みの日は時折、昼食にスパゲティーを作ってくれるようになった。仕事を終え、年長の長男と2歳の次男を保育所から連れ帰ると、炊飯器から炊き立てのごはんのにおいがして、風呂もわいている。10年前は手のかかった子が、今では手を差し伸べてくれる存在になった。 自立してきたなあ、と思う。けれど、「自律」にはまだまだ。特に、勉強への取り組みが「甘いなあ」と感じる。自分の中学時代を振り返ると偉そうなことはいえないけれど、試験前でも計画した勉強を済ませたら漫画を読んだりテレビを見たりしている。結果を出しているのならそれでもよいけれど、失敗しても反省がなく、同じことを繰り返しているのだから黙っていられない。居間のソファでごろごろしていると、つい「もう勉強しなさい」と言ってしまう。
勉強しなさい、とは言うけれど、長女がなぜ失敗しているのかを一緒に考えてやるようなフォローまではしていない。口先だけで無責任とは思いつつ、今の私には長女とがっちり向き合うだけの余裕がない。
 

子どもたちの声に励まされ

朝は午前6時45分くらいに起きる。20分で長女の弁当を作り、それから、長女、小学2年の次女、夫と長男、次男の朝食の準備に追われる。後片付けを済ませたら、服装の組み合わせを迷う余裕もなく、手につかんだものをとりあえず身につけ、化粧を5分で済ませ、最寄りの豊中駅までダッシュする。電車に飛び乗り、梅田についてから会社までも走る。 夕方は仕事を終えたら梅田駅まで走って帰り、豊中駅に着いたら自転車に飛び乗って、息を切らして保育所へ。長男は自分で帰り支度をしてくれるけれど、2歳児の次男は会話の最初は「嫌だ」で始めるのがマイブームなので、なだめたり、逃げるのを追い掛け回したりして門を出るには少なくとも30分かかる。
暗い道を二人の子どもを乗せてよろけながら自転車をこいでいると「ねえ、今日の夜ごはんはなあに?」と二人から質問される。ようやく自宅に戻ると、今度は出迎えた長女と次女が「夜ごはん何ー?」と開口一番尋ねてくる。ごはんを心待ちにしている子どもたちの声に励まされ、何とか作っている。料理は好きだけれど、6人家族にもなると、買い物袋はずっしり重くて手提げが肩に食い込むし、疲れているときは本当に泣きそうになりながら必死に台所に立っている。

一緒に頑張ろう

食事の後片付けをして、風呂に入り、子どもたちを一刻も早く寝かしつけなければと、常に追われている。こんな生活が10年余り続いている。 長女の勉強のことは気になりながらも、食事をしながら学校生活や友人関係の話をするのが精いっぱいで、「元気で通っているからOK」となんとなく納得してしまい、定期テストの度に「やっぱり私の目が行き届いていないからかな」とがっくりしてしまう。 至らない親だなあと思うがゆえ、子どもにもガンガン言えない。「お母さんも頑張っているから、あなたも頑張りなさい。目標に向かって頑張ればきっとかなう。一緒に頑張ろう」と言って親子でもがいている。

価値観によって異なる生活の質

3月上旬、仕事に忙殺され、昼食を取る余裕もない日が続いた。職場の人間関係で落ち込むことも重なった。自宅に帰り着いてドアのかぎをしめたら、次男が何を感じ取ったか、「かっか、おしごとがんばったん?」と聞いてきて、張り詰めていた気持ちがほぐれて、目の前がにじんだ。
子どもに励まされて仕事も生活も頑張ってこれていると思う。子どもを迎えに行くという制約があるからこそ、夕方からは自分の時間を確保でき、子どもを寝かしつけなければいけないからこそ、睡眠時間が取れて休養も足りている。
夫も長女の時から毎朝の保育所送りを担当している。自転車をこぎながら、子どもとの会話は大切な時間になっているようだ。   子どもを持つ前は、子どもは自分の生活の質を脅かす存在であると思い込んでいたけれど、4人の子どもと暮らす今となっては、生活の質といってもどんな価値観を持つかによって求めるものも得られるものも異なると思えるようになった。
長女もいよいよ思春期となり、我が家の子育ても新たな局面を迎える。子どもとともに悩みながら、親の私も育っていきたいと思っている。
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